KZの曲が怖い
KZの曲が怖い。
嫌いではない。
怖い。
KZっていう歌うたいがいる。
その人の話。
あの、一個前(3ヶ月くらい前か?)の記事でいかにも聞きませんけど???みたいな態度取っといてアレなんすけど、そこに帰属できませんってだけで、好意がないわけではないのよ。
と自己擁護する。
それからこの記事はメチャクチャなことを書く。暴言に読めるかも分からない。
でも誰かを傷つける意図はないのだと先に予防線も張る。
あっあと敬称略なのは尊敬と愛に拠ります。
(僕は別にナポレオン公を愛してはいないけれど例えとして、)ナポレオンさんと呼ばずにナポレオンと書くでしょ?みたいな。
KZの曲が怖い。
救われるのが怖い。
この違いを説明するのはとても難しいのだけれど、一回ブチ壊れると死にたいという願望とは別に「死ななくちゃいけない」と確信する瞬間がある。
悲しいとか苦しいとかじゃなくて。それを、こう、辛いっていう感情レベルに引っ張っていくれる声が怖い。狂気から少し息継ぎをしてしまう。
憂鬱を直視するのはめちゃくちゃ辛いんだけど、狂っていた方が楽だろうなとも思うんだけど、自分の隙をみて聞く。
救われてしまうので今でもずっとしんどい。
やさしい歌のせいで生き延びてしまう。辛い。
でも這うように再生するのは僕自身なわけで、やっぱり救われたいのだ。たぶん。
それが可視化されるのもつらい。
KZの曲にはもっとやさしくて美しい存在が救われてほしい。
僕なんぞではなくて。
人間、KZに救われろ。
胃が痛い。
つらい。